卒業生特別インタビュー 荒井さん
荒井さん
平成20年度 東京都立航空工業高等専門学校 機械工学科 卒業
軟式テニス部 所属
現在 BNPパリバ 所属
(令和5年10月インタビュー)
平成20年度 東京都立航空工業高等専門学校 機械工学科 卒業
軟式テニス部 所属
現在 BNPパリバ 所属
(令和5年10月インタビュー)
東京都立航空工業高等専門学校の機械工学科で学び、卒業後大学へ編入、医療機器メーカーを経て、現在は車いすテニスのプロプレイヤーとして活躍されています。
今回のインタビューでは、高専での学生生活から車いすテニスとの出会いまで幅広くお伺いすることができました。
今回のインタビューでは、高専での学生生活から車いすテニスとの出会いまで幅広くお伺いすることができました。
中学生の時に軟式テニス部に所属していたということですが、どのようなきっかけで軟式テニスを始めたのでしょうか。
中学校入学前の体験会で軟式テニス部を見て、友人に誘われたことがきっかけです。自分の姉や友人の兄弟がテニス部だったことも影響があったと思います。もともと自分は走ることが苦手でしたし、スポーツができるというイメージを持っていなかったのですが、友人と一緒にやってみようと思いました。
実際にテニスをやってみて、どうでしたか
自分が想像していたよりもできました。身体が大きかったこともあるのか、中学1年生のときに唯一2年生の試合の選手に選ばれたこともありました。中学時代は顧問の先生から推薦されて部長をやっていました。このことはとても良い経験だったと思っています。ただ試合をやるだけではなく、部員とコミュニケーションをとって、50人程いる部員を自分がまとめていかなくてはいけなかったのですが、友達にも助けてもらい、うまくまとめていくことができたと思います。
中学時代の経験で、テニスがどんどん好きになっていったので、高専時代も迷わず軟式テニス部に入部しました。自分の学年は途中で部員が1人になったこともあり、部員は少なかったですが、高専時代も部長をしていました。先輩後輩とはとても仲が良く、今でも関係が続く良い友人と出会うことができました。
車いすテニスと出会ったきっかけはどのようなことだったのでしょうか。
高専卒業後、大学に進学し、その後オーストラリアへワーキングホリデーを経験した後、電動車いすや義足を作るメーカーに就職しました。電動車いすの営業をしている中で、たまたま電動車いすのユーザーの方とお話する機会があり、そのうちの一人はパラリンピックに出場経験のある車いすテニスプレーヤーでした。自分もテニスをやっていること、義足であることをお話したところ、一緒に車いすテニスをやろうと誘われたことがきっかけになりました。本当に偶然の出会いがきっかけです。車いすテニスは硬式テニスです。正直なところ、自分は中学から軟式テニスをやってきたので、今後もずっと軟式テニスを続けるつもりだったのですが、経験として一度やってみようと思いました。
実際にやってみると、打つことはできても車いすの動きが上手くできずもどかしい気持ちがありながら、もっとやってみたいという気持ちになり、月1回くらい練習を始めるようになりました。周りの方から、東京パラリンピックを目指そうと言われ、最初は何を言っているのだろうくらいに考えていましたが、練習を続ける中で、国内大会に出場して勝てるようにもなり、2017年1月に初めて海外大会に出場しました。結果としては負けてしまいましたが、前年度のリオパラリンピックで銀メダルを獲得した選手から2ゲーム取れたことで、自分自身でもできるのではないかと感じ、オリンピックを目指すなら今しかないと思い、3月に会社を退職しました。スポンサーが見つかっていない中で選手として生きる道を選びましたが、あとがない状況で臨んだ3月の国際大会で初めて準優勝まですることができました。その結果を受けて、スポンサーとなってくれる企業を探したところ、現所属のBNPパリバと出会うことができました。
会社を退職して、パラリンピックを目指すという決断はとても勇気が必要だったのではないでしょうか
大きな決断でしたが、自分は大丈夫だという思いが強かったです。高専を卒業するときに、自分の中で目標がありました。テニスに出会って自分の人生は変わったと思います。いい出会いがたくさんあり、たくさんの刺激をもらいました。生まれつき障害があることもあり、自分にできないなと思うことがあると、いろんなことにチャレンジする勇気が出ないことがあります。そういう自分の経験を生かしてものづくりをしたいと考えていました。そのため、高専を卒業したときは、手に障害がある方がテニスをできるようなツールを作りたいと考えて、大学に編入し、人間工学やデザインを学び就職しました。
車いすテニスに出会って会社を辞めようと考えたとき、選手になることで自分が今まで経験してきたことやもっていた想いなどメッセージを伝えることができるようになるのではないかと思いました。自分の中では、ものづくりの現場で何かを成し遂げることと車いすテニスの選手になることで、伝えられることは大きく変わらないと思っています。高専を卒業したときから、目標の先にある目的地は変わっていないです。目的地までのアプローチが変わるだけだと思っていたので、そこまで大きな不安はなかったです。
車いすテニスの面白さ、魅力を教えてください。
一つは、チェアワーク(車いすの動き)です。自分の足のようにコートを自由に動き回りかなりの速さで細かい動きをしていて、他の車いす競技によっても動きが違います。もう一つは、2バウンドまでの返球が認められていることです。1バウンドまでで行われるテニスにはスピード感がありますが、2バウンドまであるからこその戦術、戦略には面白さを感じてもらえるのではないかと思います。
日本ではテニスはまだまだ他のメジャースポーツと比べると一般的に生で観る機会が少なく、有名選手が出場する世界大会は年に数度しか行われません。その中で車いすテニスは、多くの日本人選手が世界トップクラスで活躍し個人でスポンサーをもってプロ活動している選手もいます。また、ウィンブルドン含む世界4大大会など、世界的にメジャーなテニス大会と同時開催が行われることも増えており、パラスポーツの中では世界的にもメジャーなものだと思います。
そのようなことからも、車いすテニスを、障害者のスポーツとしてではなく、テニスの中の一種目として捉えてもらうとよりスポーツとしてより面白くなるのではないかと思います。
航空高専(産技高専の前身)を志望した理由
中学生のときは将来について2つの道を考えていました。一つは、実家が鉄工所だったこともあり、ものづくりの道に進みたいということ、もう一つは、歴史が好きだったので、人文系の分野を学びたいということを考えていました。
ただ、文系の科目があまり得意ではなかったこともあり、工業系に進むことを決めました。
その中で高専を選んだのは、家から近かったことと、就職率が高かったことが大きな要因です。
高専時代に印象に残っていることは?
いい意味で自由でした。授業のカリキュラムをある程度自分の考えで組むことができるということは、普通高校ではないと思います。服装や髪型も自由なので、個性的な髪色の友達も多かったです。
1~5年生、その先に専攻科もあり、幅広い年齢の人が在籍して、同じ校舎で一緒に学んでいること。高校生と大学生の年齢の人が一緒に過ごすということで、普通の高校では得られない経験を得られたと思います。
高専で学ぶことのメリットとは
好きな授業を選択することができるという点があります。また、授業や課題では、一つの正解があるわけではなく、自分で考えて正解だと思うものを見つけていかなくてはいけないことが多かったです。ものづくりの課題においては、自分の考えを追求して、やり抜くことができれば、とても大きな成果をあげられる可能性がありました。
そういった、与えられたただ一つの正解を導き出すことではなく、自分で思考錯誤しながら、プラスアルファの何か、おもしろいと思うことをこだわってやってみたという経験は社会に出てからも活きてくると思います。卒業研究やロボコンなどの部活動も同様ですが、何か一つのことに熱を注いで、こだわりをもってやり抜く経験を若い年齢から得やすい環境が高専にはあると考えています。先生方も専門性が高くプロフェッショナルな方々が多くいて、その学びを助けてくれます。それが高専独自の魅力であると考えています。
高専時代にやり残したことはありますか
(高専で学ぶことのメリットを、こだわりを持ってやり抜く経験を得やすい環境があることと言いましたが)授業も卒業研究も、もっとやり抜けたのではないか、やり切ってみればよかったと思うことがあります。もっとこだわって誰もやっていないようなことをやってみたかったです。高専卒業後の進路について教えてください。
高専卒業後は、大学に進学しました。当時は、手に障害がある方でもテニスができるように、それをサポートするものを作りたいと考えていたため、人とモノをつなぐ学問である人間工学を選択し、ユニバーサルデザインを専門とする教員の元で学びました。(高専卒業後の大学編入は3年次へすることが多いが)編入先がデザイン科であったため、2年次に編入をしました。高専での学びや経験は自分の人生に役に立っていますか。
現状をもっとよくするためにはどうしたらよいか、何が問題であるかという考え方が、ものづくりをするうえでのベースにあり、この考え方が身についたことは何をするうえでも役に立っていると思います。あとは、人との出会いがとても濃かったです。大学時代にもそれ以降にもたくさんの出会いがありましたが、高専時代の出会いは本当に濃かったです。独特の感性とこだわりを持っている、良い意味で今でも当時から変わらない人が多いように思います。
今後の展望、目標を教えてください。
今年から世界ランキングトップ16人のみが出られる4大大会のグランドスラムに出場できるようになりました。4大大会は、他の大会と比べて規模が大きく見てくれる方もかなり多くなります。その大会のどこかで活躍したい、優勝したいというのがテニスプレーヤーとしての一つの目標です。また、来年はパリでパラリンピックが開催されるので、そこでメダルを取ることは、自分がプロテニスプレーヤーになることを決意した目的でもあるので、そこを目指していきたいです。メダルをとることは終着点ではないですが、これからの自分の人生を考えた中で一つの区切りになると考えています。メダリストとして発する言葉と日本代表として発する言葉では、受け取る側の印象が違うと思います。メダリストとして何かを伝えることを目指していきたいです。受検生や在校生に向けてのメッセージをお願いします。
どの時、どの年代にも今しかできないことがあります。高専時代にしかできないことが必ずあるはずなので、ぜひチャレンジしてほしいです。時間は有限ですし、誰かに言われたことをやっているだけでは、自分に残ることは少ないと思います。自分で判断して、決断して取り組んだことには後悔しないと思います。失敗して反省することはたくさんあると思います。でも、後悔だけはしない生き方を選んでほしいです。
あなたにとって高専とは?
「始」中学生までは「今の自分の人生」はスタートしてなかったように思います。子どもの頃の自分と今の人生は繋がっているようには感じていないのですが、高専時代の自分と今の自分は確実に繋がっていると思っています。高専時代に自分で考えて選択、決断してきたからこそ、当時自分が考えていたことを今でも思い出すことができます。その考え方が今の自分をつくるスタート地点になっていると思います。